2012年3月31日土曜日

思い出は心に

Clip to Evernote
以前、こちらの記事を書きました。

23-seconds blog: 見返すため

その中で、私自身が意識的にライフログを残している意味や理由について書くつもりがあると述べました。

今回はその話です。
私の感覚に基づきますので、おそらくわかりにくい内容になるものと思います。


一つめの理由


意識的にライフログを残そうとする一つめの理由は、その作業や動作自体が楽しいことです。

ライフログを残すのは、かかる手間が大きくなるとやらなくなってしまいますので、簡単にできるようにいろいろと工夫した末の作業になります。
そのように、作業手順には手が掛かっていますから、どうしてもそれ自体に愛着がわいてきます。このあたりから、作業自体が楽しいような状況が生まれてくるのです。

さて、多くは語りませんが、前回「目的と手段」とのエントリを書きました。
これが、そういうことなのです。


二つめの理由


二つめの理由は、一つめに関連したものです。

意識的にライフログが残されていることは、ある面でそれらが一か所に集められていることを意味します。これは、以前のエントリでも書きましたが、ライフログとは人生において残されるものの総体である、との考え方に依ります。

一か所にライフログが集められていると、自分の人生がきちんと残っている安心感が得られます。
別に見返すわけではないのですが、「もし一年経ったときに今のことが思い出せなかったら…」と思うと不安になります。実際に思い出すわけではありませんが、思い出せないことになってしまうかもしれないのが不安なのです。


三つめの理由


上の二つに比べて、やや重要度の落ちる話です。

様々な物事を、「記録しよう」とする視点から見ると、そうでない場合には決して得られないような側面が得られます。
つまり、残った記録よりも、記録を残そうとする動作が重要だとする考え方です。

ここには明らかにメリットがあるのですが、意識的にライフログを残すことに対して明らかなメリットはそうないと思っていますので、重要度の落ちる話になるのです。


その他のこと


冒頭で示したエントリ内で、「ライフログが将来役に立つかもしれない」ことを述べました。
確かにその通りだと思いますし、理解もしているのですが、私の中での重要度はかなり低いです。
理解はできるけど納得はしていない、というやつでしょうか。
(元ネタは工藤新一です。)

さらにもう一つ、よく言われることに、記録は自分を客観的に見せてくれる、といった話があります。
こちらも、確かに間違いないことです。多くの場合で、自分の認識は間違っています。

ですが、私の中ではあまり重要ではありません。
以前、本ブログ「aTimeLoggerを使用してみて」のエントリで、思ったより食事に時間がかかっていなかった、といった話をしました。そのこと自体は非常に大事な発見ですが、一度気づけば十分だろうとも思います。

細かい話は置いておきますが、いろんなことを抜きにして、ライフログを残しておくのは良いのです。


余談


こちらもよく言われることですが、旅行などに行った際に「思い出は心に焼き付けるから、写真は必要ない」といった話があります。

これには大筋で私も同意です。
ぜひ、思い出は心に焼き付けましょう。

ですが、私は写真も目一杯撮ります。
まず見返すことはありませんので、思い出のために撮っているわけではありません。思い出は心にあります。
では何のためかと言いますと、写真を撮ること自体が楽しかったり、安心感であったり、いろいろするわけです。
本エントリの内容をよく表した事例だと言えるかもしれません。


終わりに


わかりにくい内容になりました。